それで人が生きるとき、漠然と生きるのではなく、人間としての行くべき中心点を中心として生きているということを、私たちは考えるのです。
なぜ生きるのかという問題を中心として考えるとき、私が生きていることは、ただ食事をして毎日が循環の起動に従って生きる、そのような方式によって生きるのではなく、生きるということ自体は必ずある中心点に向かって生きているのです。
中心点に行けばどうのようになるか。自分一人ではないのです。そこには関係の世界展開されるのです。
一つは相対関係、一つは縦的な関係、縦横の関係をもつようになります。そうすることによって、中央に来る以前までは平行線のみを見つめていたのが、中央に来てから垂直線、上と下を見なければならないのです。これはなぜでようか。
そうすることにおいてのみ、球形が成されるのです。すべて運動するものは球形に似るようになっているのです。
1986年2月16日 ソウル本部教会にて( 説教より抜粋)